『空蝉』
「うちはへて音をなきくらす空蝉のむなしき恋も我はするかな」
唐突にそう言った夏目を、吉野は、は?と見た。
夏休みの教室。
その日は文芸部の活動日だった。
但し、お盆明けすぐ、という日程のせいか、集まったのは夏目と吉野の二人だけ。
二人は先ほどまで、黙々と原稿の推敲作業を行なっていたのだった。
「何ですか、それ」
「何・・・って、和歌だけれど」
夏目はちょっと笑って答えた。それに反比例して、吉野の顔は険しくなる。
「その位わかっています。そうでなくて、何なんですか、唐突に」
「ん、単なる今の気持ち」
ふーん、と吉野は半分納得したような顔になった。
「で、もう一度言ってくれませんか?」
夏目はちょっと虚空を見てから口を開いた。
「うちはへて音をなきくらす空蝉のむなしき恋も我はするかな。
蝉が鳴いてるのは求婚のためであって、鳴き続けてるってことは、
想いが叶っていないってことでしょ。で、ずっと鳴き続けて、挙句の果てに、
ふと気づくとぬけがらのような死骸になるの。
そんな、報われない空しい恋を、自分もするのだろうか、っていう歌」
そして、又ちょっと笑って。
「そんな恋、するのかしら?」
吉野に、問うた。
一瞬、吉野は言葉に詰まった。
慎重に、言葉を選ぶ。
「・・・何が言いたいんですか」
夏目はそんな吉野を見据えた。
「応えてくれはしないの?」
思わず、ドキリとして吉野は目をそらした。
夏目に初めて会ったのは、この間の春、入部した時で。
1つ上のこの先輩に、何故かいたく気に入られてしまったことは、
それからまもなく、その言動で知れた。
可愛いだとか、好きだとか、挙句の果てに愛しているだとか。
・・・どこまで本気で言っているかわかったもんじゃない。
それなのに、動揺してしまう自分が悔しくて。
素直には、決して応えられない。
「夏目先輩は、そんな叶わない恋をひたすら追ったりしないでしょう」
再び夏目の方を見ながら、吉野はそう言った。
「さぁ、どうかしら」
夏目はニッと笑みを浮かべて返す。
吉野は溜息をついて。
「馬鹿なこと、長々と言わないで下さい」
強制的に会話を終了させた。
又、静かに手元の原稿に目を走らせる。
ただ。
報われない恋になき続ける蝉の声が、やけに耳につく。
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引用した和歌は、後撰和歌集に収録されている、よみ人知らずの歌です。
内容が蝉なのに、背景が金魚で申し訳ありません・・・。
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